今まで色々あったけど、今は良好です。

多重債務、病気、アルツハイマー型認知症、老人介護、何だか色々体験しちゃいました。

多重債務者

まだ慣れてなくて、記事書いたのに消してしまいました。

 

さて、銀座でバイトをしようと思い、探し始めました。

親にはカードの支払いが多くて大変なので、仕事後にバイトをしようと思っていると話しました。

全て自己責任で対処するというのが、我が家に基本。

借金をしたら、自分で何とかしないと。

 

バイト雑誌を買い、フロアレディー募集で探し始めました。

銀座で探し始めたのですが、最初に面接に行ったのは赤坂でした。

そんなお店で働いたこともなく、そんなお店で着るような洋服も持っていない、ノウハウも知らない素人ですので、すぐに見つかるなんて甘いことあるわけがなく、その場で落ちました。

 

次に行ったのは新橋。

ここは3日ほど働きましたが、クビになりました。

(後々ここで働いていた人と知り合いになり、話を聞いたらクビになって良かったと思いました。)

 

その次は銀座の端にある、若いママがいたお店でした。

お客さんはほぼ新聞社関係の方だということで、全てではないにしても、大手の新聞くらいは毎日チェックしてもらいたいと言われました。

ここは結果は保留になっていました。

 

4件目は銀座ど真ん中にあるお店。

こじんまりとしたお店でしたが、働いている女性はかなりいるらしく、面接時にバイトとは言え、そのうちに自分のお店を持ちたいと思う位の女性でないと物にならないと言われお断りされました。

 

ほぼ全廃です。

めげずに次へ。

どちらかと言えば新橋に近い場所にあったお店。

それほど大きくはないけどおしゃれな、内装にお金がかかっているようなお店でした。

面接途中でお客さんがいらして、中途半端な状態になりました。

そのお店は女性が辞めてしまってママが一人でやっていたので、お客さんがその日は結構いらして、もしよかったら今日お手伝いしましょうか?と言うと”お願い”ということで急遽お手伝いをすることになりました。

3時間ほどお手伝いをして、帰ろうとしたら、ママから明日から来れる?と聞かれたので、大丈夫です。と言うと””じゃあ明日からきて”と言うことで、バイト先が決まってしまいました。

本当にお手伝いだけと思っていたのにそれが良い方向に。

 

週5日、7時半から11時半までの時間です。

これで本当に支払いが楽になると思いました。

 

多重債務者

数年で多重債務者になってました。

 

多重債務者になっても本人はあまり気付いてません。

まだ支払いができている状態なので、そんなに問題だと思ってませんでした。

 

そのうちに買い物だけでなくカードを使いようになっていました。

それはそうです現金が無いから、食事に行ってもカード払いです。

 

分割祓いは最初5回位でしたが、それが10回になり、15回になり、最長の20回になりました。

20回になると重複している月日が長いので、支払いが終わって余裕が出るということもなくなりました。

 

それでも分割払いは分割の回数を払えばその払いは終了となります。

しかし、ついに分割ではなく、リボ払いを利用するようになりました。

毎月の支払いが一定で、楽!という言葉に踊らされ、買い物は全てと言っていいほどリボ払いになっていきました。

 

働いてから、まともに給料が残ったことが無いという、ひどい状態です。

 

こんな状態でも、仕事があって、給料とボーナスが入ってくれば、半年に一度は何とか挽回?してる。

 

でもそれも徐々に崩壊。

払っても払っても全く先が見えなくなってきたんです。

結局カードについているキャッシングも使うことになっていました。

かなり大きな雪だるまです。

そして、自転車操業状態です。

 

自転車操業はかなり長い間続けていましたがそれも危うくなり、ここに至って、何とかしなければと思い始めていました。

 

この頃、多分今多重債務に陥っている人もそうだと思いますが、ネットで多重債務者の書き込みを見て、まだ自分のほうがまし!だということを確認したりしていましたが、そんなことは何の役にも立ちません。

現実逃避です。

 

現実に膨らんだ借金は返さなければならず、返すにはお金を稼がなければなりません。私はバイトをすることにしました。

 

最初は皿洗いの仕事を探していましたが、まったくと言っていいほど見つかりませんでした。

そこで考え変えて、スナックでのバイトをしようと思い立ちました。

いわゆる水商売です。

 

そこで、いっその事銀座辺りでで働らいた方が良いのではないかと、その方が安全に働けるのではないかと考えました。

今考えれば、かなり無茶な考えだと思います。

 

実は会社の人につれられて、銀座の小さなクラブに行ってたりしたので、ある程度はどんな感じか知っていたことも思い立った要因でした。

 

 

 

多重債務者に陥るまで

私は片親ですが、大学に進学しました。

親には申し訳なかったのですが、行きたかった大学や学部に落ちてしまいました。

結局大学に行くことが目的のようになってしまいました.

 

だけど友人にも恵まれ、大学生活は楽しかったし、未だに友人の付き合いは続いて居ているし、良い大学生活が送れたので、本当に親に感謝です。

 

大学に行くには大学生活に必要なお金が基本自分で出すのが、親との約束なので、通学に必要な定期代、昼食代、教科書などはバイトで稼いでました。

 

バイトは4限まで授業の無い日は夕方から3時間半ほど、土曜日曜は約8時間ほど、休みの時はフルでバイトしていたので、問題なく過ごせました。

 

奨学金も貰ってましたが、それは学費の一部でした。

 

私は自宅から通学してたので(片道2時間)、夕食代や下宿代はかからなかったし、親が足りない分を出してくれていたので、高額借りることが無かったので、良かったんだと思います。

 

今の奨学金問題は、生活費全般を奨学金で賄うので大変な金額になるのでしょうか?

 

そんななかでも、時間はあるけどお金がない友人が多かったので、交通は夜間の鈍行や急行で、宿泊は国民宿舎やYHを使い旅行をしてました。

(その時の旅の話はまたの機会にします。)

 

そんなこんなの楽しい大学生活も無事4年で終わり、一応就職もでき、会社員となりました。

 

働くようになって一番困ったのは、着る服が無い事。

何しろ大学4年間服装にお金を使うことがなかったので、着て行く服が無い。

 

制服があれば良かったのだけど、残念なことに上着を着るだけなので、その下に着る物は自前。

買うしかないですよね。

努めるようになってカードを作ったので、買い物にカードを使うようになりました。

 

春物を買い、夏物を買い、冬物を買う。

カードの支払いも大変になってきたので、分割払いを初めてしまいました。

 

多重債務者への一歩でした。

何だか色々あったけど、今現在は結構良好な生活です。

若い時には、これからの人生平凡?な生活を送れるのかと思っていたら、なかなか色々な事がありました。

 

とっても質素な大学までの生活が、就職して華美ではないけど、それなり以上の生活を送ってしまい、多重債務に陥りました。

 

漸く多重債務から抜け出したと思ったら、なんと病気になり、会社を3か月休職。

 

それも何とか乗り切り、やれやれと思ったら今度は親にアルツハイマー認知症が発症。

年もあり、老人介護の生活になり、結局、介護生活数年で親を見送ることになりました。

 

そんなこんなを経て、今は落ち着き、それなりの良好な生活を送っています。

 

そんなこれまでの日々の事や、趣味の事等をコツコツ書いていこうと思っています。

 

よろしくお願いします。